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豊田市美術館でひらかれた
フランスの美術家、ソフィ・カルの「最後のとき/最初のとき」を観に行ってきました。

目の見えない人に
“あなたが今まで見た中で一番美しいものは何ですか?”
と質問し、
その答えの文章とイメージ写真。さらに本人の写真を展示したもの。

人生の途中で視覚を失った人に、最後に見た物は何か尋ねた写真。

海をみたこと無かった人に、海へ連れていったときの映像。

と盲目の人々を撮影した三部構成でした。

なかでも不思議だったのが、
インテリアの美にとてもこだわりのある女性でした。
目は見えないのですが、家具も調度品も自分で全て選び配置したそうです。
どれも素敵なデザインで、
レイアウトも美しくインテリア雑誌を見ているようでした。
天井の色も「あたたかく落ち着くから」と青色にしたそうです。
具体的なペンキの色目は失敗したくなかったので
目の見える人に聞いたそうです。

“見る”にもいろんな方法があって、
目が見えなくても
触る・想像する・人から聞く・感じる など
いろんな方法で視覚的な美しさを体験できるんだな〜と思いました。

“見る”も人それぞれ。
ヘレンケラーも、ときおり第六感的な視覚で、色やら何かしら感じ取って見ていたと言います。

私は5年前に自律神経をおかしくしてから、時々
道が揺れて見えます。
目だけでなく脳みその処理で見てるんだな〜と、つくづく感じます。
ちょっと気持ち悪いけど、大体みえてればいいかな〜って思ってます。

個人的には”見る”って”知る”ことだと思います。
体の中に経験として入るものを色々見ていきたいです。

ソフィ・カルのドキュメンタリー映画も上映されてました。
友人にやめて!と言われながらも
ショールームの棺の中に入ってみたりと、
好奇心のつきないとてもチャーミングな女性でした。

若い頃は、街で気になった人をストーキングして写真を勝手にとって
展示したりしてました。
見知らぬ人の旅行にまで無断でくっついて撮影したり、
ホテルの掃除のアルバイトをして室内や持ち物を撮ったりとか
今の日本なら捕まりそう!

“他人を撮っているようで、自分の視点を観察している行為だった”
という言葉が印象的でした。
あらゆるものごとには、真逆にはたらく要素があるのかもしれません。

pickup

pickup

garagara-400s
森の中の自然歩道
フクロウのアクリルガッシュのイラスト
木の実を付けた木
海辺の夕焼け
海の波
ミロード・クリスマスのポスター・フェルト作家Yurinokoのサンタとトナカイのイラスト
名古屋銀行の企業カレンダー・フェルト作家Yurinokoの動物と建物のイラスト
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